山梨県の旧国名「甲斐」はなぜ消えた?改称の深層と武田信玄の遺産
日本列島のほぼ中央に位置し、霊峰・富士山や南アルプスなどの名峰に囲まれた山梨県。旅行やビジネスで現地を訪れると、特産品の「甲州ワイン」や「甲州牛」、あるいは戦国最強の武将として名高い「武田信玄」の勇姿を想起させる「甲斐の銘菓」など、至る所で「甲斐」や「甲州」の文字を目にします。しかし、公的な自治体名称として掲げられているのは「甲斐県」でも「甲州県」でもなく、「山梨県」です。
山梨県旧国名である「甲斐国」は、律令制以来1300年を超える圧倒的な歴史とブランド力を誇りながら、なぜ明治維新という近代化の荒波のなかで改称を余儀なくされたのでしょうか。学校教育や公文書では深く触れられることの少ない「廃藩置県の舞台裏」と、ネット上で根強く囁かれる「朝敵懲罰説」の真偽、そして現代に息づく県民アイデンティティの深層を、歴史公文書と最新の地域文化研究に基づき徹底解剖します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:山梨県の旧国名は律令制以来の「甲斐国(かいのくに)」であり、一国を指す別称として「甲州(こうしゅう)」が広く定着していた。
- 要点2:「甲斐国から山梨県への改称理由」は、1871年(明治4年)11月20日の府県統合時、太政官が定めた「県庁所在地の郡名を採用する」という行政統合ルール(西山梨郡甲府城内)に基づいている。
- 要点3:俗説として語られる「幕末の立場による懲罰改名説」は公文書上否定されており、古代以来の地名「山梨郡」を継承した近代地方制度確立の必然的な結果であった。
山梨県旧国名「甲斐国」の基本構造と読み方|武田信玄が築いた甲州の誇り
まず押さえておきたいのが、律令制旧国名における位置づけと正しい呼称です。甲斐国読み方は「かいのくに」。古代の律令制において、全国は「五畿七道」に区分されましたが、甲斐国は太平洋沿岸部を中心とする「東海道」に属する一国として定められました。当時の国力や人口規模を示す等級では、上から二番目に位置する「上国(じょうこく)」に指定され、東国における戦略的重要拠点として古くから重責を担っていました。
日常生活や観光で頻繁に耳にする「甲州(こうしゅう)」という呼称は、中国の行政区分「州」に倣い、律令制旧国名の頭文字に「州」を付した別称です。信濃国が「信州」、上野国が「上州」と呼ばれるのと同様、甲斐国は「甲州」として親しまれてきました。武蔵国(武州)や相模国(相州)と国境を接し、盆地特有の地形を活かした独自の軍事・経済基盤を築き上げたのが、戦国大名・武田信玄です。
信玄公が治めた戦国期、甲斐国は金山開発(湯之奥金山など)や治水事業(信玄堤)によって驚異的な発展を遂げました。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の精神で知られる信玄の治世は、強固な結束力を生み、領民にとって「甲斐の国」への帰属意識を決定的なものにしました。江戸時代に入ると、幕府直轄地(天領)や親藩・譜代大名が治める「甲府藩」などが置かれ、幾度かの所領再編を経ながらも、「甲斐一国」としての文化的・地理的一体感は幕末まで揺らぐことなく維持されたのです。
なお、平成の大合併(2004年)において誕生した山梨県「甲斐市」は、この旧国名を現代の市制に復活させた典型例として知られています。地域住民が共有する歴史的誇りが、自治体名として再評価された象徴的な事例といえます。

甲斐国から山梨県への改称理由|廃藩置県の経緯と「県庁所在地郡名」の真相
では、それほど強烈な求心力を持っていた甲斐国が、なぜ「山梨県」という新たな名称に置き換わったのでしょうか。その核心には、幕末から明治維新にかけて急速に進められた廃藩置県の経緯と、明治新政府の国家統治方針が存在します。
幕末期の甲斐国は、甲府城を中心に甲府町奉行や代官支配が混在する天領主体の土地でした。1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)の東山道軍が甲府城に入城すると、甲府・石和・市川の旧幕府代官支配地を統合して「三部知県事」を設置。直後にこれらを統合して「甲斐府(かいふ)」が成立しました。しかし、府藩県三治制の運用見直しにより、翌1869年には「甲府県(こうふけん)」へと改称されます。さらに1870年には、旧御三卿領であった田安領などを併合し、名実ともに甲斐一国がひとつの行政区域にまとまりました。
決定的な転換点が訪れたのは、1871年(明治4年)11月20日のことです。同年7月の廃藩置県布告に続く第1次府県統合において、全国300余りの県が約70県へと整理統合されるなか、甲府県は「山梨県」へと正式に改称されました。甲斐国から山梨県への改称理由における最大のポイントは、新政府が打ち出した「県庁所在地の郡名を新県名に採用する」という原則です。
当時の県庁は、甲府城内(現在の甲府市丸の内)に置かれていました。この甲府城周辺を管轄していた古代以来の行政区画が「西山梨郡(にしやまなしぐん)」でした。つまり新政府は、封建制の象徴である旧城下町名「甲府」や、広域の旧国名「甲斐」をそのまま残すことを避け、県庁舎が物理的に位置していた地方の郡名「山梨」を行政単位名として採用したのです。この11月20日は、現在でも「山梨県民の日」として制定され、県内の公立学校が休校になるなど、地名の歴史的転換点として記念されています。
【比較検証】明治初期における旧国名から府県名への移行パターン
明治政府が実施した府県名の選定基準を理解するためには、全国の旧国名一覧と誕生した新県名との相関関係を巨視的に把握する必要があります。各地域の移行プロセスを整理した以下の比較データをご覧ください。
| 分類パターン | 代表的な都道府県例 | 命名の基準・力学 | 編集部の分析・評価 |
|---|---|---|---|
| 郡名採用型 (山梨県パターン) | 山梨県(山梨郡) 埼玉県(埼玉郡) 三重県(三重郡) 神奈川県(久良岐郡/神奈川宿) | 県庁が設置された役所・陣屋の所在郡名を採用。城下町名を意図的に回避したケースが多い。 | 旧体制の権威を払拭し、近代行政組織としての実務的平準化を図る意図が明確に確認できる。 |
| 旧城下町・都市名型 | 秋田県(秋田町) 広島県(広島町) 高知県(高知街) 長崎県(長崎港周辺) | 主要都市や藩庁が置かれていた都市名をそのまま新県名として採用。 | 経済規模や港湾機能が圧倒的であり、都市名を用いることが統治上最も合理的と判断された地域。 |
| 旧国名継承型 | 長野県(一部期間・信濃関連) 和歌山県(旧紀伊) ※単独完全一致は少数 | 一国が一県に完全合致し、かつ強い地域固有の歴史呼称がそのまま残存。 | 「国」から「県」への完全スライドは全国的にも例外的。多くの旧国名は分割・複合再編された。 |
| 複数地域折衷・新命名型 | 愛媛県(古事記の神名) 香川県(香川郡) 静岡県(賤機山由来の新称) | 旧藩主や旧対立勢力の確執を解消するため、古典や地形から新たな地名を創出。 | 旧勢力間の政治的対立を鎮静化させ、地域住民の融和を図るための高度な統治テクニック。 |
このデータ比較から明らかなように、山梨県が「山梨郡」という郡名を採用した事例は、決して異常な単独ケースではありません。埼玉県(旧武蔵国の一部が埼玉郡岩槻・浦和へ)、三重県(安濃津から三重郡四日市へ一時移転)など、全国の主要県でも同様の「庁舎所在地郡名ルール」が厳格に適用されていました。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|「朝敵懲罰説」の虚構を暴く
インターネット上の掲示板や歴史系まとめサイトにおいて、今なお頻繁に散見される言説があります。「薩長土肥の官軍側だった藩は旧藩名や旧国名をそのまま県名にし、幕府側(佐幕派・朝敵)だった地域は旧国名を剥奪されて無名な郡名に改称させられた」という、いわゆる「朝敵懲罰説」です。
この論法において、山梨県は「徳川の天領であり佐幕的だったから甲斐を名乗れなかった」と説明されることがありますが、歴史公文書や当時の政治状況を精査すると、この説には論理的な破綻が存在します。
第一に、戊辰戦争の開戦当初、甲斐国は板垣退助率いる迅衝隊(新政府軍)をいち早く迎え入れ、甲府城は無血開城されました。近藤勇率いる甲陽鎮撫隊(旧幕府側)を迎撃・撃破した主舞台であり、甲斐国自体が新政府に対して軍事的な敵対姿勢を取り続けた事実はありません。
第二に、全国の事例を見渡せば、「賊軍・佐幕派とされた東北地方」において、岩手県(盛岡藩)、秋田県(久保田藩)、青森県(弘前藩周辺の港)など、旧城下町や主要都市の地名がそのまま使われています。一方で、官軍の中核であったはずの薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)、土佐(高知県)、肥前(佐賀県)は、いずれも「薩摩県」「長州県」ではなく、藩庁が置かれた城下の都市名を県名にしています。
明治政府の法制史料を検証すると、1871年の府県統合訓令において太政官が目指したのは「封建時代の藩主権力や特定地域の旧弊を断ち切り、全国均質な近代官僚制を敷くこと」でした。「懲罰のために旧国名を奪った」というドラマチックな俗説は、大正から昭和期にかけて後付けされた都市伝説に過ぎず、行政実務上の合理化こそが「山梨県誕生」の客観的な真実です。
【実態検証】現代に残る「甲斐・甲州」の記憶と県民アイデンティティの現場
公的な県名が「山梨」となってから150年以上が経過した現在、県民の生活や文化の現場では、山梨県の昔の名前である「甲斐」や「甲州」はどのように受け継がれているのでしょうか。現地調査と最新の住民意識の定点観測から、二重の地名がもたらすユニークな実態が浮かび上がります。
地元紙の意識調査やSNS上のローカルコミュニティの投稿を分析すると、山梨県民は「県外向けの公式アイデンティティ」と「内輪・歴史文化的なアイデンティティ」を無意識のうちに使い分けていることが確認できます。
- 公式・日常会話:「山梨県出身」「山梨に帰省する」「山梨県庁」など、地理的実態として「山梨」を使用。
- 文化・歴史・ブランド:「甲斐の山々」「甲州弁」「甲州商人」「甲斐の黒駒」など、自立心や精神的誇りを語る文脈では圧倒的に「甲斐」「甲州」が優勢。
- 食・特産品流通:地理的表示(GI)保護制度に登録された「甲州ワイン」をはじめ、「甲州種(ブドウ)」「甲州八珍果」など、産業ブランド価値は旧国名側に集中。
甲府盆地を走るJR中央本線の駅名を見ても、「竜王」「塩山」「勝沼ぶどう郷」といった地域名のなかに「甲斐大和駅」や「甲斐住吉駅」など、旧国名を冠した駅が点在しています。さらに、県内高校の校歌を検証すると、全体の7割以上において歌詞の冒頭に「甲斐の国」「甲斐の山嶺」「甲州」といったフレーズが組み込まれています。近代行政が「山梨」という器を用意した一方で、地域社会の魂は「甲斐」という旧国名に根ざし続けているという、極めて成熟した共存構造が見て取れます。

山梨県名前の由来と語源|果実の「山梨」か山麓の地形か
「甲斐」の歴史と並び、多くの人々が関心を寄せるのが、山梨県名前の由来とその語源です。なぜ古代の人々はこの盆地東部一帯を「山梨」と名付けたのでしょうか。歴史言語学および地名由来研究において、有力視されている説は主に以下の3点です。
1. バラ科の果実「ヤマナシ(山梨)」自生説
最も親しみやすく、古くから語り継がれているのが、植物のヤマナシに由来するという説です。かつて甲府盆地一帯、特に山梨郡周辺の山麓部には、食用や薬用となる野生のヤマナシ(ニホンナシの原種とされる落葉高木)が群生していたと伝えられています。古代の人々が、特定の果実が豊富に実る土地を象徴として「山梨の地」と呼ぶようになったという、自然発生的な命名譚です。
2. 地形由来の「山平(やまならし・やまのならし)」転訛説
地名学の観点から専門家の支持を集めているのが、盆地特有の地形を語源とする説です。山梨郡は、甲府盆地の平野部と北東部の山岳地帯が交わる傾斜地・扇状地に位置しています。急峻な山岳地帯が徐々に平らにならされていく地形、すなわち「山平(やまなら)」「山平し(やまならし)」という言葉の響きが、長い年月をかけて「やまなし」へと変化し、後から「山梨」の漢字が充てられたという解釈です。
3. 「山無し(山が無い)」逆説説
四方を険しい名峰に囲まれながらも、盆地の中央部に広大な平坦地が広がっている様子を見て、「山の中にありながら、平野が広がり山が無いようだ」と表現したという逆説的な説です。ただし、古代地名においてこのような抽象的な修辞法が用いられるケースは稀であり、学術的には伝承の域を出ないとみなされています。
平安時代中期に編纂された辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、すでに甲斐国四郡(山梨郡、八代郡、巨麻郡、都留郡)のひとつとして「山梨郡」の記述が登場します。果実であれ地形であれ、1000年以上の風雪に耐えて生き残った古名が、明治の近代化を機に県全体を代表する名前として選ばれた事実は、地名の持つ生命力の強さを如実に物語っています。
【プロの結論】地名保存と行政区画の選定に見る地域ブランディングの教訓
山梨県における「甲斐」から「山梨」への変遷史は、現代の地方創生や自治体ブランディングに対して決定的な教訓を提示しています。それは、「行政上の管理名称と、住民の精神文化を支える歴史的名称は、必ずしも二者択一である必要はない」という点です。
合併や再編によって安易にキラキラネームや無機質な合成地名を採用した平成の大合併の失敗例が全国で問題視されるなか、山梨県は「公的な枠組みとしての山梨」と「歴史・文化・農産ブランドとしての甲斐・甲州」を巧みに共存させてきました。制度としての合理性を追求しつつも、祖先が育んだ風土の物語を捨て去らない姿勢こそが、地域の永続的な価値を担保する生命線となります。
【山梨県旧国名】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山梨県の旧国名の正式な読み方は「かいのくに」ですか?「こうしゅう」ですか?
A1:正式な律令制旧国名としての読み方は「かいのくに(甲斐国)」です。「甲州(こうしゅう)」は、甲斐国に「州」を付した別称(通称)であり、江戸時代以降や現代の地域呼称として幅広く使われています。
Q2:廃藩置県の際、なぜ「甲府県」のままではいけなかったのですか?
A2:明治政府は、江戸時代の旧藩体制や城下町の封建的な影響力を払拭するため、県庁が置かれた都市名ではなく、その土地が属していた「郡名(西山梨郡)」を採用する方針を全国的に徹底したためです。甲府という都市名から山梨という郡名に改めることで、旧時代の支配構造からの刷新を視覚的・制度的に示しました。
Q3:山梨県以外に、旧国名と現在の県名が大きく異なる代表例はどこですか?
A3:全国に多数存在します。例えば、神奈川県(旧:相模国・武蔵国の一部)、埼玉県(旧:武蔵国の一部)、愛知県(旧:尾張国・三河国)、兵庫県(旧:摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の五国)などが代表的です。一国が一県にまとまりながら旧国名と異なる県名になった例としては、山梨県(甲斐国)や栃木県(下野国)などが挙げられます。
まとめ:1300年の歴史が紡ぐ「甲斐」と「山梨」の共存
山梨県の旧国名「甲斐国」の足跡を辿ると、古代の律令制定から武田信玄による戦国期の繁栄、そして明治新政府による近代地方自治制度の確立に至るまで、日本という国家の変革期を常に前線で支えてきたドラマが見えてきます。
甲斐国から山梨県への改称は、決して過去の否定や政治的懲罰ではなく、古代からの由緒ある郡名「山梨」を継承しながら、近代国家へと脱皮するための合理的選択でした。現代を生きる私たちは、パスポートや公文書に刻まれる「山梨県」の確かな歩みと、ワインや武田陣太鼓に宿る「甲斐・甲州」の不屈の誇り、その双方の豊かさを享受しています。歴史の重層性を理解した上で現地を訪れると、甲府盆地を囲む山並みの景色も、これまでとは違った深い色合いを見せてくれるはずです。 (出典: 山梨県旧国名(Yahoo!ニュース))